COLUMN経営コラム
マーケティング
2019.09.27
日本を変えた経営者の起業家時代
GMOインターネット株式会社
代表取締役会長兼社長熊谷正寿氏
1963年7月17日生まれ。長野県出身。東証一部上場企業GMOインターネット株式会社を中心とするGMOインターネットグループを率いるベンチャー起業家。
上場企業の株式会社まぐクリック、GMOペイメントゲートウェイ株式会社、GMOホスティング&セキュリティ株式会社を含めたグループ連結111社(2019年6月)、連結従業員約6000名の代表取締役会長、社長、取締役を兼任。
事業内容
ブロードバンド時代の総合的なインフラ、サービスインフラを担う上場企業、GMOインターネットグループ。同グループの主なサービスは、レンタルサーバーやドメインなどのネットインフラ事業、ブログなどのネットメディア事業、ネット金融事業。
会社沿革
1991年5月 マルチメディア事業を目的として株式会社ボイスメディア設立
1995年11月 商号をインターキュー株式会社に変更。事業領域をインターネットのインフラ、サービスインフラに集中
1999年8月 独立系のネットベンチャー企業として国内初の株式店頭公開
2000年9月 まぐクリックが法人設立後、日本最短(364日)でナスダック・ジャパン市場に上場
2001年4月 グローバルメディアオンライン株式会社に社名変更
2004年2月 東京証券取引所第二部に上場
2004年4月 GMOペイメントゲートウェイが東京証券取引所マザーズ市場に上場
2005年6月 GMOインターネット株式会社に社名変更。東京証券取引所第一部に上場
起業の経緯
熊谷氏が21歳の頃、実家で働く社会人、通信教育で勉強する学生、20歳で妻と結婚して夫、21歳で子供が生まれて父親という1人4役という生活を送っていた。
同級生は学生生活を楽しんでいる一方、朝から晩まで働き、家族が寝静まってから勉強という生活の繰り返しだった。経済的にも苦しく、自分で選んだ道とはいえ後悔した時期もあったという。
そのような苦しい生活のなかでも「今はこうだけど将来はこうなる」と強く考えていた熊谷氏は「夢のリスト」を手帳に書くことをはじめた。
この夢のリストには、「結果としてなりたい将来をイメージ」し、その将来イメージを実現させるための実現可能レベルの取組み、その実現可能レベルの取組みを維持していくための生活の基礎である取組み(勉強、仕事、精神)を書き写していくというものだった。
これは、生活の基礎レベルの取組みをおこなうことで、仕事や家庭という実現可能レベルの生活を維持することができ、その実現可能レベルの生活を維持することで「結果としてなりたい将来イメージ」に近づいていくという夢のリストだった。
特に仕事の分野では、35歳までに何かの分野でナンバーワンをとるというもので、その夢のリストは15年計画でたてられたものだった。
そうして熊谷氏は実際に36歳のときに上場を果たす。
熊谷氏は、こうした結果を得られたことに対し次のように述べている。
「今は新興市場ができたので短期間で上場ができるようになりました。当時の100万分の1.7の確率の狭き門をくぐれたのは何故かというと、自分の決めた目標や夢を細分化してアクション(行動)したからです。それなくして短期上場など自分が決めたことを達成するということはできませんでした。」
1994年にはじめて体験したインターネットに感動を覚え、プロバイダー事業を開始した。この事業を選んだ理由として、インターネットの感動を体験する人を一人でも多く増やしていきたい思ったからというものだった。人々を感動の渦に巻き込み、結果として売上と数字が上がっていくということがとても大切だと考えているのだ。
当時のレンタルサーバーの価格の相場は100万円前後で提供されており、ドメインの取得が大手経由で20万円、維持費に5万円前後かかる価格で誰でも利用できるような環境ではなかった。
熊谷氏は、この敷居の高さの問題を価格破壊という答えで解決した。
このとき、今では常識ととらえられているレンタルサーバー1~2万円、ドメイン1年数千円と常識をはるかに覆した価格で提供を開始したのだ。こうして、現在では法人のレンタルサーバーやドメインなどを預かる日本一の会社へとなった。
まとめ
熊谷氏が現在の地位までのぼりつめたのは起業以前に書いた夢のリストとそれに対するアクションだと語っている。
企業経営にも事業計画書がある。この夢のリストと同様、事業計画に向けてアクションしていかなければならない。企業経営や1個人の人生としてもこの夢のリストは大いに役立つといえるだろう。