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2019.09.20

名経営者の人生を切りひらく言葉

名経営者の人生を切りひらく言葉

名経営者の言葉とストーリー

他人の道に心を奪われ、
思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まなければならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

―松下幸之助(松下電器創業者)

松下幸之助は1894年、和歌山県で生まれた松下電器産業株式会社の創業者だ。

小学校を中退し、わずか9歳で火鉢屋に弟子入りし、16歳で大阪電灯(現:関西電力)に見習工として入社した。
現場作業を好んだ松下幸之助は22歳で独立。妻と義弟との3人で、電球ソケットの販売を開始した。

創業当初はユーザーに全く受け入れられず、妻が着物を売り払うなど生活は困窮を極めた。しかしその後、アタッチメントプラグや電池式自転車用ランプなどのヒット作を生み出したことで評判を呼ぶこととなった。

終戦後は「借金王」と呼ばれるほどの負債を抱えていた経験もあったが、幾多の試練を乗り越えられてきたのは「自分の信じた道を切り拓いていく」という熱い思いがあったからだという。

よい機会に恵まれぬ者はいない。
ただそれをとらえられなかっただけなのだ。

―アンドリュー・カーネギー(鉄鋼王)

アンドリュー・カーネギーは1835年、スコットランドで生まれた実業家だ。
一家で移民としてアメリカのピッツバーグに渡るものの、父が事業に失敗、12歳にして紡績工場の糸巻きの仕事をしながら家計を助けていた。

その後、ペンシルバニア鉄道で勤務しながら、製鉄事業への投資で商才を発揮。28歳の頃には年収の約20倍の金額を投資で稼ぎ出し、実業界でその名を広く知られるようになった。

同社を退社後、鉄道建設会社や製鉄工場を創設し、アメリカではじめて「ベッセマー製鋼法」を導入した。さらに、ピッツバーグに最新式の製鉄工場エドガー・トムソン工場を完成させ、1899年にはアメリカの鉄鋼生産の4分の1を占めるまでに成長した。
これは、チャンスを逃すことなく突き進んで富を築いた鉄鋼王カーネギーの言葉だ。

志(こころざし)をたてた以上、
迷わず一本の太い仕事をしたらいい。

―豊田佐吉(トヨタグループ創始者)

豊田佐吉は1867年、静岡県で生まれたトヨタグループの創始者だ。

大工の父の背中を見て育ち、名古屋で織物工場の職工の道へと進んだ。1890年、木製人力織機を発明させると改良を重ね、発明に没頭する。その7年後には、動力織機を完成させた。

そして、1926年、豊田自動織機製作所を創設。
一度決めた志を貫く強い心が、のちのトヨタ自動車の土台をつくることとなった。
佐吉は晩年になっても研究を辞めることはなく、63歳でこの世を去るまで多数の特許を取得し、世界でその功績を認められることとなった。

ウイスキーの仕事は私にとって恋人のようなものである。
恋している相手のためなら、どんな苦労でも苦労とは感じない。
むしろ楽しみながら喜んでやるものだ。

―竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創業者)

竹鶴政孝は1894年、広島県で生まれたニッカウヰスキーの創業者だ。

実家は酒屋を営んでおり、家業の日本酒を学ぼうと大阪高等工業学校醸造科へと進んだが、在学中に洋酒の魅力に引き寄せられ、洋酒で有名な摂津酒造に入社した。その2年後には、イギリスのグラスゴー大学へ留学し、本格的なウイスキーの製造方法を修得した。

納得のいくウイスキーづくりがしたいという強い思いから、40歳で大日本果汁株式会社を立ち上げる。6年後にはウイスキー第1号「日果(ニッカ)」の発売を開始し、ニッカブランドを誕生させた。

これは好きなことに夢中になり、結果として成功を掴んだ名経営者の言葉だ。

顧客に求められたら決してノーと言ってはいけない。
相手が月を欲しがったとしてもだ。

―セザール・リッツ(リッツ創業者)

セザール・リッツは1850年、スイスで生まれたリッツ・カールトンの創業者だ。

15歳でウェイターとして飲食業に飛び込み、数多くの一流ホテルの現場で修行を積んだ。そして1898年、パリでホテル・リッツを開業。
創業当初から貴族や富豪から絶大な支持を受け、高級ホテルの見本として、リッツは欧州各地に展開していくる。その後、世界的な高級ホテルチェーンとして知られるようになり、ダイアナ元妃、シャネル、プルースト、ヘミングウェイなどの多くの著名人からも人気を集めた。

リッツは徹底的な顧客主義を一貫し、最高のサービスを提供し続けている。

成功が努力よりも先に来るのは
辞書の中だけだ。

―ヴィダル・サスーン(ヴィダルサスーン創業者)

ヴィダル・サスーンは1928年、イギリスで生まれたヘアアーティストだ。

14歳からサロンのシャンプー要員として修行を重ね、26歳の時にロンドンの中心地で最初のサロンを開業した。
その後、アメリカ、ドイツ、カナダへの進出を果たし、1977年にはオリジナルのヘアケア商品が世界中から注目を浴びるようになった。

サスーンはカラースプレーを初めて髪に使用するなど、斬新な技術で美容界に革命を起こしている。しかし、カットの革命児と呼ばれた世界的なヘアデザイナーではあったが、その華々しい成功の裏側にはとてつもない努力の日々の積み重ねがあったのだ。

まとめ

今回は世界に名をはせた名経営者の言葉を抜粋した。
もしかしたらすでに、あなたには尊敬していたり師と仰ぐメンターがいるかもしれない。

どのような経営者も困難訪れており、信念を貫いた先に成功があったことを理解していれば、多少の苦労も苦にならないことだろう。

経営において困難に立ち塞がれている場合、ぜひ偉大なる先人の言葉を思い出してみてほしい。

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